2014-01-13

利便性の追及?

新年からかれこれ1週間以上風邪っ引きです、多分風邪がこんなにこじれているのは人生で初めてです、もう風邪な状態が逆に通常なんじゃないかと思い始めてきました。(笑)



私は、このご時世で生きてるのがたまに向いてないなーと感じることがあって。

それはなぜかというと、IT社会や利便性を求めるトレンド(?)に大して疲れることがあるから。


いつでもどこでもメールチェックして返信は迅速に、資料はパソコンで作成、年賀状とかの挨拶状もプリントアウト、Twitterでちょっとした言葉のあやも叩かれる、写真・音楽とかはデータ渡して終了・・・・・・その他諸々

っていうのが、一言でいうと疲れる。

効率を求めることは悪いとは思わないけど、だからこそ誰がやっても同じようにしか感じることが出来ない。

その人の感性とかアイデアが見えずらい。

報連相が大事ってよく言われるけど、実際ネット上・メールの報連相って漏れが多い気がする。

送信先に入れ忘れたりとか、届いてないとか、データ消えるとか。


もちろんデメリットばっかりじゃない。

海外の友達と連絡を取ったり、色んな国の状況・文化を知ったり、インターネットがなかったら出会えないかもしれない人にコンタクト取れたり、知り合えたり。

でもいつも思うのは、ネットで知る情報が全てではないし、出会えない人にコンタクトが取れてもそこから実際に会って行動していくことに意味があるわけであって、その地点で終了するのはその後の線には繋がっていかないなと。


例にとるなら、ある観光地はネットでは、「がっかり」とか「ガイドブックの写真の方が良い」とか書かれていたとする。

それを鵜呑みにして、「じゃ、この観光地は行かなくていいや~」と思うか、「人の好みは多様だし、書く人の意見は参考程度で、私はここに行ってみたいから行くんだ!」と思うかで、随分とその人の行動範囲、興味関心、知識、その他諸々の広がりは変わっていくんだろうなーと思う。
(この文は、自分に対する戒めも含めて書いてます(笑))


それに関連して、手紙とかメモ取るとか自分の手で書くということが好きなんだけど、それは人が書く文字で、どういう状態だったのかとか分かったりするから。

メールとかパソコンとかで書いた文は、思いとか半減するような気もする。

こんな偉そうなこと書いてても、自分自身、年賀状も書かなくなったし、メールでいいやとか思ってしまうことも増えてるのが事実。少しずつでも現状でそう思うことを減らしていきたいな~。



あと、コンビニとか自販機もそんなに数ありすぎるの意味あるのかと思って、それらの前を通り過ぎる毎日。

電車、バスが24時間運営になって意味があるのかとか、そんなことより成田・羽田空港で最終便に合わせた交通網整備するのが先じゃないのかとか思ったりしてるわけで。

こうなんか色々書いてるけど、なんていうか、

“利便性”という言葉でくくられて実施されていくことは、今後自分たちの首をどんどん締めていくだけじゃないか

って頭をよぎったりするんだよね。


何も縄文時代の生活に戻りましょうなんて極端なこと言ってるわけではなく、

生き急ぐようなライフスタイルとか、便利じゃなきゃいけないとかっていう考えが

優先されていくことが、私にとっては嫌というだけの話です。

不便なこと1つや2つあったっていいじゃん、メールじゃなくても後から届く手紙は嬉しいじゃん、夜に色んな場所が煌々と光ってなくてもいいじゃん、なーんて思ってる。

だから、このご時世に生きてるのが向いてないなーって思うだけのこと。




人間という生き物はどこまで“発展”を望んで、それを形にしていくんだろうね。



わー、なんか長く書いたの初めてな気がする!(笑)

最後まで読んでくれた人いたら、ありがとうございます(^^)

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