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2019-10-06

Collateral Beauty


映画レビューを細々と始めてみようかと思います。
今回は「Collateral Beauty」(邦題:「素晴らしきかな、人生」)。

広告代理店を経営する主人公ハワード(ウィル・スミス)、カリスマ性もあり事業も軌道に乗っていた矢先に、最愛の娘を亡くします。

食事や睡眠をとることもままならず、日々「愛」、「時間」、「死」への手紙をポストに投函していました。

会社の倒産の危機に直面し、ハワードの共同経営陣兼友人の3人(ホイット、クレア、サイモン)が役員として不適格であるということを証明しハワード自身から退職をさせるために動き出します。

偶然出会った役者3人たちに「愛」、「時間」、「死」というハワードが書き続ける手紙の返答を演じさせ、ハワードとの対話を試みます。

ハワードだけではなくそれぞれ悩みを抱えるホイット、クレア、サイモン。
彼らの心がどのように変化していくのかを描いた作品です。


                                        

この作品の大テーマ。

人は「愛」を渇望し、「時間」を惜しみ、「死」を恐れる。

最初のシーンでこのことについてハワードがスピーチをするシーンがあります。
(娘が亡くなる以前の回想シーン)


この最初のシーンからドカンときました。

細分化したらキリはないけど、この3つが人生を占めているものだなと。

なんて簡潔明快な表現だろうと。


私がこの映画で好意を持てる点は、ハワードだけに焦点を敢えて当てていないところ。

ホイット、クレア、サイモンが、「おいおい、そこまでする?」というような行為も

回りまわって彼らの悩みに対してヒントを与えているから。

きっと、前に進むきっかけが欲しかったのはハワードだけではなく彼ら3人も。

ラストシーンも「え?そういうことなのか。なるほどね。」という感じで

受け入れやすいエンディングになっているかと思います。


邦題訳に関して色々な意見があるようですが、

確かに意訳に意訳を重ねた結果なのかなという印象です。

ただタイトルだけを邦題で見ると、明るい映画なのかなという印象を受けてしまうのも事実かもしれません。

言語はきっちり当てはめることが中々出来ないからこそ奥が深いとも思いますが。

                                        

個人的に腑に落ちた台詞が1つ。

子どもを授かりたいと悩むクレアに対して、「時間」を演じたラフィから一言。

「子どもは自分で産まなければいけないわけじゃない。彼らはあなたと歩んでいくものだ。(Your children don't have to come from you. They go through you.)」

ちょっと私の日本語訳がよろしくないと思うので原文も載せておきました。

これもなんだかドカンときました。

女性は子どもを授かるのに「時間」というリミットがある。

でも、必ずしも自分のお腹の中で育てた子どもだけが自分の子どもとも限らない。

要は、どうやって育てて共に歩んでいくかなのではないかなと。

そう考えると、結婚したりパートナーがいて子どもを授かるだけが全てじゃないのかもしれない。

それなら、一人でも子どもを育てるために経済力をつけたりスキルをあげることも今よりもっと大事なことになってくる。

そうやって自分の責任感を増やすことも素敵なことなんだろうなって思えます。
                                        

恐らく見る度に3つのうちの1つのテーマ「愛」、「時間」、「死」に対して、

気付きを与えてくれる映画なのではないかなと思います。

私の場合は、今回「時間」でしたが、次に観たときには「愛」かもしれないし、

「死」かもしれないし、はたまた「時間」についてまた発見があるかもしれません。


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2017-08-26

千差万別な道を歩くこと

協力隊から帰国して約一年。

受験準備にひーひーして、結果来なくて問い合わせたら出願システムのエラーって言われて、ようやく合格をいただき、年明けから某NGOで半年ほどお世話になり、その間に協力隊経験をお伝えするセミナーを何度かやらせてもらい、とかそんなことしてたら一年経とうとしてた。

たまにマラウィアンとも連絡取りながら、「あー、マラウイ行ってトゥンブカ語話したいなー」とか思いながら。


出国間際でも本当にこの選択が良いのか考えたりもしたけれど、ここまで来たら楽しみまくってやろうと思う。どんなに課題が多くても、色んな国の同級生のびっくり言動に出くわしたとしても、悩むことも落ち込むことも、全部ひっくるめて。


帰国して、いろーんな人の歩んでいる道を見聞きして、どんな人でもどんな状況でも私にはキラキラして見えた。誰一人として同じ道はないし、違うからこそ意味があり、尊い。軌道に乗っていたり、もがいたり色々な状況であっても、その人の道を歩いていることに胸を打たれ、感銘を受け、涙が出ることも。そんな人たちが周りにいること、話を打ち明けてくれることに幸せを感じるし、感謝してもしきれない。

人との距離感に多少難ありな私を受け入れてくれている方々、本当にありがとう。

また色んな人の新たなストーリーを聞けることを、私自身のストーリーを話すことも心から楽しみにして、数日後出国します。

2017-02-01

明るく飛躍せよ、2017年!

年が明けて1ヶ月過ぎてしまいましたが、本年もよろしくお願いします。

このブログもかなりゆるーく更新していますが、早4年ですか。
なんとも月日が経つのは早いような遅いような。
相変わらず時間の感覚が早くなることはなく遅いままな私です。(笑)



さてさて、協力隊生活も無事(?)満了しまして、次の道へ進もうと奮闘し早数か月。

療養帰国から復帰した最後の活動に関しては別記事にて触れます。


最近はというと一番最新の記事でも触れていたように、大学院への進学めざし中であります。

大学院という選択肢はぶれていませんが、数か月の中で行ったり来たりの迷いを乗り越え、ようやく第一志望の学校の出願を終えました。

第一志望を日本の学校から海外へ変えました。
それが行ったり来たりの迷いの結果となりました。

なので、今は結果待ち。どうなることやらですが。

そもそも帰国後からIELTS(海外大学・大学院出願時に求められる英語テスト)のスコアを取るところから始め、出願書類を揃えてなんてことを、準備時間平均の数分の一の時間でやるということ自体が大分無謀でありました。

いつものあれですね、どたばた劇。(苦笑)

第一志望の結果はどうであれ、英語力はまだまだ未熟、かつ第二志望の準備もあるので、まだまだ道のりは続くわけです。
そして合格がゴールでもないので、それこそまだまだ道のりは長いですが、やるっきゃないです。


自分のこのよくわからないやる気は一体どこから来るのか。
簡潔に言えば“悔しさ”と“希望”なのだと思っています。


協力隊で専門性のなさに落ち込み、さらに療養帰国で落ち込み、活動の成果と呼べるものも少なからず残せたもののやはり物足りず。

その一方で落ち込む中であっても、自分が専門として仕事をしていきたいと思える分野に出会えたこと。

そんな+と-の両方の感情がまぁまぁいいバランスでいてくれるようで、やる気を保てています。


先はまだどうなるか分かりませんが、未知の未来を楽しんで生きてやろうと思います。

自分自身で楽しくも不安にも出来てしまうのなら、楽しいと思える方が精神衛生上も良いじゃないですか。

だからこそ2017年はより一層のポジティブシンキングで色々なチャレンジ・試練に挑んでいきます。

そしてブログの更新もがんばります!笑

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2016-07-31

再赴任の後の結論

さて、任期についてですが、延長せずに帰国することにしました。
理由は幾つかあるので、順に。

1.配属先の仕事がある程度は回っていた
以前は隊員がお尻を叩いていた頃もあったのですが、それはもはや過去の話。全員が真面目にとはいかないですが、困らない程度には仕事を回していました。
日本人がいるからいいやとサボり癖を再発させないためにも延長はやめようと思いました。

2.結局のところ自分はボランティア
上記と関係していることですが、結局自分はここに永遠にいるわけではないし、やはり彼らが積極的に物事や課題に取り組むべきだと感じたんです。冷たく聞こえるかもしれないですが、配属先は何人かの隊員が入っていて、良くも悪くも日本人の扱いに慣れていたし、特性も分かっている。もうそろそろ隊員がいない環境を作ることも必要だと思い、私自身も後任の申請をしていません。彼らはやれば出来る、けれど甘えられるなら甘えたい、そんな状況を卒業するのも彼らのためだと思いました。
それに延長した場合の考えていた活動内容は、少し独り善がりな部分もあったので、それも違う気がしました。”ボランティア”と言えど人それぞれ捉え方があって然るべきものだと思います。私が思うボランティアは、独り善がりなものではないと、療養中に初心に触れられたこともあって、ストンと心の整理が付きました。

3.活動の見通しが経った
再赴任した後、延長は出来ないこともないが難しいと思うという程でカウンターパートと話をしました。私が療養する前にやろうとしていたことをもう一回やる気になってやってみないか?と聞いたところ、やる気はあるし9月の引き上げ前までには出来るという意気込みを聞けたので、わざわざ先延ばしにする必要はないなと思いました。他の活動も私がやっていたことを引き継げるような形にするということで話がまとまりました。
その時には挙がっていなかった活動も現在始めたところです。これもカウンターパートからサポートしてほしいという提案からでした。
なので、今結構バタバタとしていますが、充実した毎日です。

4.次の進路の見通しを考えて
次の進路ですが、現在大学院進学を考えています。夏の入試の受験は難しいので、冬の入試を受験予定です。それが来年の1〜2月。延長してもしなくても受験は出来ます。(延長しても帰国は12月末の予定だったので)ですが、英語スコアと研究計画書のことを考えるとやはりマラウイでその準備をして、活動もするということはなかなか簡単ではないと思いました。(学部とは違う専攻に進もうと思っているため、特に研究計画書に時間を割かれるという予想で)なので、その準備期間を設けてもいいのではないかと思いました。

5.多少の不安
やはり、今回このように病気になり、療養した期間もあり同じようなことが起こらないと自分で100%自信を持ち切れませんでした。もちろん誰しも100%何もないとは言い切れませんが、人よりその可能性はあるということが自分の中で払拭しきれませんでした。任地の人とは良い思い出でお別れをしたいというのも強く思ったことです。

という諸々の理由から、結論に至りました。
任地での毎日を噛み締めて、大切にしながら、残りの任期を過ごしていこうと思います。



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2016-07-18

この半年のこと

更新が滞りまして。

1月末から低髄液圧症という病にかかり、2月中旬より日本にて一時療養帰国をしておりました。7月初旬、ようやく再びマラウイへと戻ってきて、現在に至っています。

何からどう説明すればいいのか、自分でもまとまっていないので、支離滅裂になるかもしれませんが、お付き合い下さい。

発症は運良く?首都で、立ち上がれない程の頭痛、それに伴う嘔吐があり、病院へ、そのまま入院。5日程で退院し、隊員ドミトリーにて、2週間程療養し、症状が多少落ち着いたため、日本へ検査のため帰国。
長距離移動だったため、症状が再発し、病院受診後そのまま入院。約3週間でした。その間もほとんど起き上がることは出来ず、安静第一でした。
というのも、低髄液圧症の治療はまだ確立されておらず、安静と水分補給が第一の治療とされています。手術もありますが、後遺症が残ることや成功率があまり高くないことから、主治医と相談をし、行わないことにしました。
退院後は、自宅療養ということで、安静にしつつも散歩に出たりしていました。
しかし、退院から約1カ月後突然の痙攣により再入院。寝たきりだったところから急な活動を行ったための筋膜炎と関節炎でした。1週間ほどで退院し、自宅にて自主リハビリ、体力回復に努めることになりました。

そして、ある程度の回復が見込めたので、今回再赴任ということになりました。

どちらの症状も主治医から言わせると、こんなことで発症しないはずと言われるようなことが原因でした。
まさに神様のイタズラといったところでしょうか。

1月は活動が絶頂期に入るような時期でした。自分でもかなり燃えていました。それに今まで大きな病気をしたこともなかった健康体神話説が崩れました。
そこでポキッと心が折られ、元の状態を取り戻すのも時間がかかりました。というより今でも取り戻している最中です。

病室や療養の中で様々な思いとぶつかりました。そしてそれを励ましてくれた人たちもたくさんいました。そんな暖かさに触れて、人との関わりの意味を再認識しました。
朝起きて夜眠るまで動けること、健康でいることの尊さに気付けました。生と死を以前よりもずっとずっと近くにあるものと気付け、もっともっと精一杯生きることに一生懸命になりたいと思えるようになりました。

マラウイに戻ることが怖くなかったわけではありません。でも、自分の中で戻らないという選択は納得が出来なかった。

残りの任期を延長するか否かは、近いうちに決まります。
納得する選択をしようと思います。


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2016-01-10

こんにちは2016年、さようなら2015年

あけましておめでとうございます。
久しぶりの更新です。最後が7月って、、、放置しすぎましたね。

今回は、2015年の振り返り、2016年について、つらつらと書いていこうと思います。


●2015年の振り返り
マラウイで迎えた2015年。任地をまだまだ好きにはなれず、自分が何をしたらいいのかも分からず、悶々としていた1月~3月頃。
4月頃からとりあえず、動くということで、至る場所の会議に出席し、乾期にもなったことでバイクでがしがし色々な場所を巡回。とにもかくにも顔見知り、人脈を作っていました。
6月はその反動で疲れ、足取りが重くなり、それじゃいかんと気を取り直そうとしたときに、配属先で針刺し事故を起こしてしまい、薬の副作用や検査通院で思うように活動できませんでした。
9月、マラウイ到着から1年を迎え、あと1年切ってしまったと焦り始め、10月の中間報告で同期の活動の素晴らしさと自分を比較し、どっぷり落ち込みました。しかし、落ち込むだけではいけないと、活動に誠意を持って取り組もうと動き始めたところ、、、
この時期から同僚たちに「50%くらいマラウィアンだな~」やら、「トゥンブカ語(現地語)の修了証書あげるよ」などと言われ始めました。今もたまに言われていますが、正直とても嬉しいことです。なぜかというと、協力隊は現地の人と同じ釜の飯を食べ、同じように生活すると言われている中で、現地の人にそのように認めてもらえたこと、「トゥンブカ語話せないの?苦笑」やら、絶対通じるトゥンブカ語で話しかけても無視されたこともあって、悔しくて悔しくて勉強して、それが結果になったということ、この2つ。
だからこそ、残りの任期を1年と少しかけて築いた色々なことを無駄にせずに悔いが残らないように、全うしていきたい。

マラウィアンに悩まされ、日本人にも悩まされ、堂々巡りなことを何度も考えたり、上手く感情として現せなかったけれど確実にあった悲しさや悔しさ、それを吹き飛ばしてくれる些細だけれど幸せな会話や出来事。

どれもきっと自分への試練で、それがあるからこそのオリジナルなマラウイでの時間なんだと強く思っています。

見えないけれど、多くの出来事がきっと自分の肥やしになった2015年。


●2016年を迎えて
2016年はマラウイから南アフリカへ飛んでケープタウンで年越しをしました。ケープタウンの観光情報等は別の機会に。
何回、「マラウイだったら○○なのに!驚」と口にしたことでしょう。それだけ、南アフリカとマラウイという国の差を嫌というほど見せつけられてきました。
2015年の中盤くらいにザンビア、ジンバブエに行き、そのときもマラウイとの違いに愕然としましたが、南アフリカはその何百倍も上をいっていました…。

      

ですが、あっさり、すんなり久しぶりの先進国の生活スタイル(食事や服装やお金の使い方etc)に戻り、「あ、こんな生活してたな。」と日本での自分を思い出したような気持ちになりました。
と言いながらもマラウイ、特に任地に戻るとあっさりマラウイスタイルにしっかり適応しました…。(笑)

2016年、協力隊としての任期が終わる年。2015年は長い長いと思っていたのに折り返しが過ぎ、帰国までの日数が刻々と近付いてくる年。普段から動く前に入念に考えることが私の行動特性でしたが、今年はそれを控え、考えすぎずにスタートを切る、という一年にしていこうと思います。

今年は去年より更新頻度をあげていけるようにしていきます。
今年もよろしくお願いします。



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2015-07-13

“Poor”は誰が決めること?


マラウイに来て、「We are poor.」という言葉を何度聞いたか。その回数は数知れず。

「We can't ○○ because we are poor.」という言葉も。

耳にタコが出来るんじゃないかと思うくらい。そして大抵の場合、ドヤ顔で言うマラウィアン。

私はその度に思う。マラウィアンは金銭的にはpoorかもしれないけれど、精神的にはrichだと。

このpoorだとかrichだとかいう定義は、先進国が貨幣経済に基づいて決めたこと。
(povertyとpoorは定義が別だと思っています)

つまり、貨幣を使わずに生活出来る場合の状況をあまり考慮していない。

マラウィアンを見ていて思う。彼らは本当にお金を使わない生活をしている、というよりお金を使う必要が少ない。
(もちろん必要な物を購入するお金が足りず、その場しのぎになることもあります、特に仕事面では)

なぜなら、食べ物は自分たちで作っているから。壊れても直す、捨てるということをしない。



先日、同僚と村人と3人でこんな会話をしました。

村人    「You can't stay in Africa, because there are lots of problems caused by poor.」
私     「Why not? I can stay here.」
同僚    「You can't, because Japan is a rich country.」
私         「It's true but Japanese can't live without money. However, you can live without money isn't it?」
村人・同僚  「Exactly!」


というような感じ。



だからと言って、彼らがお金を使う生活を望んでいるのかは、まだまだわからない。
Poorならお金や物がもらえるから、そのままでいいと思っているかもしれない。
協力隊生活が終わっても、わからないかもしれない。




先進国が唱える“開発”の形が正しいのか、それすらも答えは見つけられないかもしれない。
先進国が唱える“Poor”が何を意味するのか、その定義に当てはまる国や人は本当に“Poor”なのか。




マラウイに来てから、国際協力や援助の考え方が、大きな渦になって脱出することが出来ない。
日に日にマラウィアンと仲が深まるたびに渦はどんどん大きくなる。



冒頭に書いた「We can't ○○ because we are poor.」が「We are poor but we are/can ○○」に1人でもなるといいな。



そのためにも自分の思いを少しずつでも日々伝えていこう。



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2015-06-14

ペイフォワードを観て思ったこと

先日、初めて『Pay it forward(次へ渡す)』を観ました。
そこで色々思うことがあったので、残しておきます。

この映画を知らない人のために簡単に話を説明すると、

ある少年が社会科の「世界を変えるためのアイデアを考え実践する」という課題に対し、
以下のようなアイデアを発表し、実践していくというお話です。




図のように1人が3人に対し、恩返し・見返りなしに善い行いをします。
その3人も同じように1人3人ずつに善い行いをしていく、その数はどんどん増えていくという考えです。
その少年がインタビューをされる場面での言葉がとても印象的だったのでご紹介。

▼英語
It's hard for some people who are used to things the way they are even if they're bad to change.
And they kind of give up.
When they do,they kind of lose.

▼日本語
日々の暮らしに慣れきった人たちは良くないこともなかなか変えられない。
だからあきらめる。
でもあきらめたら、負けなんだ。


ふむふむと納得しながら最初は聞きましたが、ふと思考モード。
色んな意味で自分と重なるなーと。

夜更かしがなかなか直らないとかお菓子をよく食べちゃうとか。
まぁこれは行動とか生活習慣の話。
極端な話、意識次第でどっちにも転がれる。


そして自分の悩み。
コンプレックス、変えたいと思う内面、細かいことまで挙げればキリがない。
意識だけでは変えられない。何年もそれと共に歩んできているから。
変えられない=あきらめる ということを言いたいのではなくて
変えたいともがくことは決してあきらめているわけではなくて、向き合おうと、どうにか変えようとしていること。
そう考えたら、落ち込むこともたくさんあるけれど、自分自身をあきらめたくないと思う自分がいるんだなって。

ちょっぴりだけど、すっきりしたな。


自分の周りの世界に、ペイフォワードを行える人間に近付けるといいな。
そうしたら、もっとその世界は広がっていくかもしれないと思える素敵な映画でした。



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2015-06-07

マラウイに来て感じた“距離感”と“尊さ”

マラウイに来る前までは、“アフリカ”って、とても遠い存在だと思っていた。

到着して2~3ヶ月経ったくらいから、遠いどころか近くにマラウイやアフリカを感じることが出来ている。



日本にいると“アフリカ”という文字には、貧困、紛争、感染症…等々マイナスに捉えられるキーワードが関連付けられ、語られることが多々ある。


けれど、マラウイに住み感じることは、“世界中どこでも【人】の生活が営まれている”ということ。

これが私にとってのアフリカに対する距離感を一気に縮めてくれた。

誰にでも生活があり、学び、笑い、恋愛をし、家庭を持っているということを分かっていたつもりだったんだろう。

頭ではなく肌で十二分に理解することが出来たのは、マラウイに来たおかげだと思っている。

多くのマラウイ人と接し、関わりを持つことでよりはっきりとそれらの場面を目にする。


だから、決して場所と場所の距離だけで、「遠い」と、距離感を自分の中で作り上げることはやめようと思うことが出来た。


そして、日々の数多くの尊さに気付ける、気付かされること。

日本での生活でこれほど尊さに敏感になれることはあるんだろうか、と考えることもあったり。

衣食住が満たされていること、近所の人との他愛ない会話の時間、1~2週間会わなかっただけでも寂しかったよーと言い合う人間関係…

きっとこの“距離感”と“尊さ”の2つが、マラウイから与えてもらえた2年間でのプレゼントなのかなと思う今日この頃。



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2015-02-06

海外で生活すること

オーストラリア1年、マラウイで今3ヶ月経とうとしている海外生活を経て私が思うことを今回は綴ってみたいと思います。

多分マラウイでの生活を通してまた考えに変化があるかもしれませんが。




留学をすると周囲に伝えたとき、うらやましがられることもまぁまぁあった。

正直、留学するという気持ちを前から持っていなかった自分には、その言葉が響かなかった。

今ならその言葉を多少なり言われることも理解することは出来るようになった。

海外で生活すること、それは別世界である、と考えている人がたくさんいる。

否定したいわけではないけれど、思い違わないでほしいというのが私の意見。

決して海外で生活することは、別世界でも何でもない。

想像しているよりも、ずっと地味で平坦。

写真やメディアはいいところしか語らない、映(写)さない。

Facebookだって、悪いことや写真ばかりを挙げる人なんてそんなにいない。

どこにいても、生活に華やかさも何も潜んではいない。



もちろん海外で生活することで得られるメリットはある。

異文化適応能力、言語能力、ストレスマネジメント、日本人としてのアイデンティティetc

でも、わざわざ海外に出て行かなくてもこれらはある程度身に付けることは出来る。

(ストレスマネジメントに関しては、日本と海外で多少異なる気がしている今日この頃)

じゃあ、なぜわざわざ海外で生活をするのか。


*そこで生活を営む人たちと何か(協働)をすることは、自分もそこで生活をしなければ簡単に出来ることではない(と私は思っている)から。

*旅行では培えない人間関係を、日頃から構築することが出来るから。
(旅行先の出会いももちろん好きです)


というのが現時点での私が海外で生活することの最大限のメリットだと思っている。



じゃあ、自国と海外の間の仕事はどうなるんだよってっていう話にもなってくるような気もしますが…。

そこは、通信手段を通じてのコミュニケーション然り。そこから日々の信頼構築を行う必要がある。

通信手段は絶対ではないと思っています。だからこそ直接face to faceで生活も仕事もすることに意味が出てくる。



なんだか話がまとまらなくなってきましたが、つまりは、

どこにいても別世界はなく、全てが現実だということ。


現実は、地味で平坦、だからこそ、そこに尊さも同時にあると思う。


それが海外生活を通して分かったこと。
あと1年半ちょっとの海外生活でさらに考えを深めていきたい。


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2015-01-17

不便の中にあるもの

挨拶が遅れましたが2015年もよろしくお願いしますー!


去年の今頃書いたことと類似記事ですが、書き留めておきます。



冷蔵庫は家電の三種の神器と言えるほど便利なもの。

冷蔵庫が壊れて、

「あー、冷えた飲み物が飲めなくなるのかー」
「肉とか冷凍保存できないのかー」
「野菜、パンが腐るの早くなるなー」
(買い物に行く回数を増やして少量ずつ買うのかー)

等々、最初は思ったけれど、ふと、


家電を持つことは、先を見据えた行動をとること


につながるんじゃないかなと。


つまり

冷蔵庫で食料が保存できる=何日間かの献立ができる=何を買うか考えて買い物する=先を考える

という風になるんじゃないかなってぼんやり思いました。



便利ということはある程度時間の見通しを立てて生活する、仕事するということなんだなと感じています。

だからこそ、便利なことが少ないマラウイで、見通しを立てすぎず流れに身を任せるということも学んでいる今日この頃です。




ですが! 停電断水に関しては、ある程度の余裕(貯え)を持つことは大切です。

停電ならば、バウラー(七輪みたいなもの)で火を起こして料理をしたりお湯を沸かしたり。

バウラーはそんな何個も持っているわけではないので、クッカー、ケトルのように効率よくはいきません。


そして、停電によって貸与携帯、パソコンの充電がもたないということがなによりもひやひや。

うーん、連絡手段を途絶えないようにする、こういうところはまだまだ日本人。笑
(週1回JICAに安否確認の連絡をしたり、緊急時に備えるということもあって携帯を貸与されています)



私は水道がない家なので良いっちゃ良いのですが、同期の水道がある家の話や水道がある同期の家に泊まっていた時に、断水って、とてつもなく生活に支障をもたらすと強く認識。


だからこそ、水道があるなし関係なく、水をくむ場所を事前に知っておくこと、多少の水の貯えておくことはかなり重要。

そういう点は現地の人の方が長けていると感心してます。



電気、水が人間の生活を支える大きな柱だということ、それらが供給されることの幸せ、喜びを手に取るように感じられるこの生活、私は嫌いじゃないです。


便利の中に隠れてしまっていること、不便だからこそ気付くこと

それらにあとどのくらい出逢えるか楽しみ!



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2014-04-04

身近に感じるということ


今回は多くの人に読んでほしいテーマです。


先月末、福島県南相馬市原町へボランティアに行ってきました。

昨年の10月に続き2度目の参加でした。

福島県南相馬市は、小高区、原町区、鹿島区という区から成り、福島第一原発の爆発事故・地震津波の影響を受けている地域です。

 
 
 
 
青印のところが福島第一原発、赤い囲いマークがあるところが南相馬市原ノ町です。

前回は、がれき撤去・被災された方のお宅の備品整理、イベントちらしの配布、仮設住宅でのサロンに参加しました。

今回は、仮設住宅での定期野菜配布、サロンでの活動でした。

昨年伺った場所と同じ仮設住宅での活動だったため、数名の方が覚えてくださっていました。
数多くのボランティアの方が訪れている中でも、そのような関係を築けていることはとても喜ばしいことでした。

それと同時に3年経ったけれども風化させてはいけないと再認識しました。

復興の進捗うんぬんもありますが、何よりも住民の方の精神面で抱えていらっしゃるものは、単純に解決出来るものではないからです。




私が、南相馬に行くようになって強く感じていることがあります。



“問題(物事)を身近に感じること”。



これは何も堅苦しい話だけではなく、日常生活・仕事・人間関係…どこにでも通じるものだと思っています。



私にとって、南相馬に行ったことでそこの人たちと触れ合い、原発という問題がとても身近になり、少しずつですが、勉強したり、現場を見たり、住民の方のお話を伺う中で、それらが線になって理解へ繋がるようになっています。




なぜ身近になったか。




それは単純に、南相馬の○○仮設住宅に住むAさんやBさん住人の方との距離が近くなったから。




なぜ近くなったのか。




サロンで数時間を過ごしただけの関係であっても、私にとってはとても大きい出来事として残ったからかもしれません。

おじいちゃん、おばあちゃん好きが表れたのかもしれません。

でも、そういうきっかけでいいんだと思います。


だから、地震が起こったなんてニュースを見たら、AさんやBさんが無事か心配するし、原発の問題も考えるようになった。


例えば、A国に友達(現地の人でも旅行中の日本の友達でも)がいたとして、天災や事件があったら、心配になって連絡を取ったり、そのことについて調べたりしますよね?

それと同じ感覚です。



“物事”との距離がある限り、きっとその“物事”はずっと遠いままなんじゃないかと思います。



何が出来るかとか考えてしまうけれど、その“物事”との距離を縮めるために、それに触れてみることだって、有意義なことではないでしょうか。

それから自分の関わり方を考えたって遅くはない。



“問題”と書くとマイナスに捉えられがちな言葉になるけれど、変化をもたらすためには、きっとプラスな言葉なんだと思います。


私自身もこんなことをつらつら書いていても、遠い物事はまだまだあって、全部に対して距離を縮めることは難しいかもしれない。

でも、だからこそ距離が近くなったことに関しては、遠くなることを選択せずに自分なりの形で向き合っていきたいと強く思います。



また南相馬の美味しい物が食べれて、住民の方とお話したり、裁縫できると思うと行くのが楽しみです(^^)

 
B級グルメの浪江焼きそば
 


これを読んで下さった方も、何でもいいと思うので何か1つと距離が近づきますように。


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2014-03-20

24歳を迎えて思うこと

一ヶ月以上前になりましたが、先月は誕生日月でした!

色んな人にお祝いしてもらえて幸せを感じました(*^^*)
今回、面白かった?のが、久しぶりに連絡をくれる人が多かったこと。
あ、思い出してもらえたんだ、と喜んでおりました!

みなさん、ありがとうございました。


もうこの話は何人かに言ってるんだけど、どうもみんな腑に落ちてくれないので、ブログに持ってくることにしました(笑)

普段、自分もだし周りの年齢とかってあまり気にしないタイプだけど、誕生日くらいは年齢のことを気にしてみます。

24歳。干支でいうとようやく2回り。

時間の流れって感じ方は人それぞれだし、そのときの心情によっても大きく変わると思うけど、私は、24歳という年齢を迎えての感想は、



「やっとか。」



の一言でした。

ある友達には、「色んなことが短い間にたくさんあったからだよ。」と言われました。
確かに一理ある。

この2~3年は、特に時間が長くしか感じられなかった。
楽しい時間だってたくさんあった、留学していた1年間だって今思えばあっという間だったと言える。

けど、変に時間を長く感じているせいか、1年が3年とかくらいで自分の中で換算されてしまっている。

仮にここ2年間を換算するとすれば、6年の時間の長さを感じて生きてるって計算になる。(笑)

おいおいって突っ込みが聞こえてきそうだけど、自分の中ではどうあがいてもそれくらい長くしか感じることが出来なかった。


逆に、「感じてる長さは長いけど、お、実年齢は若い!がんばろ!」っていう考え方も出来るよね。今そうゆう方向に持っていってる最中。

これからはもっと、こう、「あー!あっという間だった!」って思えることが増えるといいな。



そうしたら、もっと時間を、命を削ることを大切に出来る気がする。



時間は命に直結してるもの、どういう風に過ごすかがその人の人生に繋がるんだって思うんだ。

そりゃあ、無駄だなぁって思う時間だってある、時間に追われてひーひーすることだってある。

それもまた彩りの1つ。

がむしゃらにばっかり過ごせる人なんてそう多くない。私だってそう。

きっと、私の時間が長く感じるっていうのも、実際考え方1つ。


まぁ短い長いだの尺の話はどうあれ、“時”というものをちゃんと捉えていきたい。

2014-02-05

人間力

もう2月に突入しちゃってますねー。早い早い。年明けからバタバタしております。

今回は、自分の中でかなり社会(日本社会?)に対する、反骨精神丸出しなこと書いていきます。
賛否両論あるでしょうが、これが私の考え方なのであしからず。


私は、社会人って言葉が大っ嫌いになっていっています。

なぜかっていうと、就職する=社会人みたいな考え方がこびり付いているから。

いや、就職するから社会人って、なんなのよって。

社会と接点を持った時点で、すでに社会人でしょ、年齢とか関係なく。

経済的に自立しているから就職することが社会人?

学生でも経済的に自立してる人はいるよ。

責任ある立場、仕事をするから社会人?

アルバイトだって契約社員だって、責任ある立場の人はたくさんいるよ。

なんだろう、正社員が絶対的立場だとか、給料がとか、そりゃ生活していく上で大切だよ。

でも、それを振りかざして権力保持!社会的立場あります!みたいな感覚が気に入らない。

日本の、派遣社員とか契約社員の扱いが低いことって、企業経営面ではいいかもしれないけど、労働市場面からは今後決してプラスにはならないと思う。

あと、正社員のボーナスってのは、基本給が低いからあるわけで、基本給が低くなければ必要ないわけだよ、海外諸国にボーナスなんて基本ないからね(笑)


あ、話がそれた。元に戻します。


会社で、年齢が上だからってすべて正しいわけでもないし、がっかりすることもたくさんある。

高卒で就職した人の方が、40代のベテラン社員より仕事をこなせることだってざらにあると思う。

私は、就職するまで、年齢を重ねてる人は少なくとも自分よりすごいんだろうなって勝手に思ってた。

それは、私がもやもやを抱き続ける新卒一括採用ってやつが引き金にもなってるんだけど。


就活ってやつに振り回される、良くも悪くも。

そこで悔しい思いをした人や納得のいかない結果でも受け入れる人、嬉しい思いをした人、色んな人がいると思う。

その行く先で色んな思いをまたして、成長して凹んでいくんだろう。

でも1つだけ心に留めておいてほしいなって思うことが今書いてて浮かんだから、書いて終わります。


人っていうのは、最終的には年齢でも性別でも国籍でもなく、“人間力”。


若いからって経験不足なわけじゃない、若いけど色んな事経験してきてる人を私は知ってる。

年齢=経験 じゃない。

だから、社会という大きな渦の中にいても、“人間力”のある社会人の人たちに出逢えるように前に進んでいきたいものです。

そういう人を引き寄せるのも、きっと自分自身の人間力なのだと思うわけです。



熱くなりすぎた(T_T)
ちょっと次は、旅行記とかにシフトしてこうかな・・・(笑)



2014-01-13

利便性の追及?

新年からかれこれ1週間以上風邪っ引きです、多分風邪がこんなにこじれているのは人生で初めてです、もう風邪な状態が逆に通常なんじゃないかと思い始めてきました。(笑)



私は、このご時世で生きてるのがたまに向いてないなーと感じることがあって。

それはなぜかというと、IT社会や利便性を求めるトレンド(?)に大して疲れることがあるから。


いつでもどこでもメールチェックして返信は迅速に、資料はパソコンで作成、年賀状とかの挨拶状もプリントアウト、Twitterでちょっとした言葉のあやも叩かれる、写真・音楽とかはデータ渡して終了・・・・・・その他諸々

っていうのが、一言でいうと疲れる。

効率を求めることは悪いとは思わないけど、だからこそ誰がやっても同じようにしか感じることが出来ない。

その人の感性とかアイデアが見えずらい。

報連相が大事ってよく言われるけど、実際ネット上・メールの報連相って漏れが多い気がする。

送信先に入れ忘れたりとか、届いてないとか、データ消えるとか。


もちろんデメリットばっかりじゃない。

海外の友達と連絡を取ったり、色んな国の状況・文化を知ったり、インターネットがなかったら出会えないかもしれない人にコンタクト取れたり、知り合えたり。

でもいつも思うのは、ネットで知る情報が全てではないし、出会えない人にコンタクトが取れてもそこから実際に会って行動していくことに意味があるわけであって、その地点で終了するのはその後の線には繋がっていかないなと。


例にとるなら、ある観光地はネットでは、「がっかり」とか「ガイドブックの写真の方が良い」とか書かれていたとする。

それを鵜呑みにして、「じゃ、この観光地は行かなくていいや~」と思うか、「人の好みは多様だし、書く人の意見は参考程度で、私はここに行ってみたいから行くんだ!」と思うかで、随分とその人の行動範囲、興味関心、知識、その他諸々の広がりは変わっていくんだろうなーと思う。
(この文は、自分に対する戒めも含めて書いてます(笑))


それに関連して、手紙とかメモ取るとか自分の手で書くということが好きなんだけど、それは人が書く文字で、どういう状態だったのかとか分かったりするから。

メールとかパソコンとかで書いた文は、思いとか半減するような気もする。

こんな偉そうなこと書いてても、自分自身、年賀状も書かなくなったし、メールでいいやとか思ってしまうことも増えてるのが事実。少しずつでも現状でそう思うことを減らしていきたいな~。



あと、コンビニとか自販機もそんなに数ありすぎるの意味あるのかと思って、それらの前を通り過ぎる毎日。

電車、バスが24時間運営になって意味があるのかとか、そんなことより成田・羽田空港で最終便に合わせた交通網整備するのが先じゃないのかとか思ったりしてるわけで。

こうなんか色々書いてるけど、なんていうか、

“利便性”という言葉でくくられて実施されていくことは、今後自分たちの首をどんどん締めていくだけじゃないか

って頭をよぎったりするんだよね。


何も縄文時代の生活に戻りましょうなんて極端なこと言ってるわけではなく、

生き急ぐようなライフスタイルとか、便利じゃなきゃいけないとかっていう考えが

優先されていくことが、私にとっては嫌というだけの話です。

不便なこと1つや2つあったっていいじゃん、メールじゃなくても後から届く手紙は嬉しいじゃん、夜に色んな場所が煌々と光ってなくてもいいじゃん、なーんて思ってる。

だから、このご時世に生きてるのが向いてないなーって思うだけのこと。




人間という生き物はどこまで“発展”を望んで、それを形にしていくんだろうね。



わー、なんか長く書いたの初めてな気がする!(笑)

最後まで読んでくれた人いたら、ありがとうございます(^^)

2014-01-02

壁を越えていくこと

2014年 あけましたおめでとうございます(^o^)


去年は、正直久々にしんどかった年だった気がします。

でもその中にたくさんの気付きや幸せがあって、それに出逢えたことは自分を成長させてくれたものになってます。



さてはて、今年はどんな年になっていくのか。

私は結構行き当たりばったりな所もあるので、先がどうなるかわからないっていうのは逆にワクワクしたりします。

もちろん、こうこうこうしていくというビジョンは持ちつつの話です。


自分の中では、キーワードは「スピード感」、「壁を越える」

やっぱりね、やりたいことがあってそれを実現していくにはある程度のスピード感が必要、っていうのを去年噛み締めることが多々あって。

なので、それにもっともっと近付くための、スピード感。


そして、無理だと思うことをなくす・改善していくという、壁を越えていくこと。

変わりたいと思っても行動が伴わなきゃそれはただの願望にしかならないわけで、少しずつでも行動に反映させていくから、後に何か成果と言われるような何かがくっついてくる。

くっついてこなくても自分が納得出来ればそれでいいんじゃないかな。



というわけで、2014年年女エンジョイしてきますんで、よろしくお願いしまーす☆

2013-12-01

変わること、変わらないこと

皆にとって、変わることってどんなことですか?

学校が、バイトが、職場が、家の場所が変わる。
見た目、髪型、服装が変わる。

これはどちらかと言えば、自分が変えたいという意思の元で行われる。
(小さい頃の引っ越しとかは除いて)

考え方、性格、行動が変わる。
こっちは自分の意思だけではなくて、色々な要因から変化が起こるんではないかなーと思います。




小学校の卒業アルバムのクラスページで、

「何年たっても変わらない人」というランキング項目で私は、3位でした(微妙な順位…笑)

まぁ順位は置いておいて、それから、中学・高校と時は流れていくわけですが、


「変わらないね~」というお言葉を、ことごとく小中高の友人からはいただくわけです。


少し前までは、私はそれに対してネガティブな感情を持ってしか受け取れませんでした。


要は、「なんにも成長してないのかな」とか思っていて悶々としてたんです。




ですが、最近なんの拍子もなく、ふっと思いました。


“何も変わっていないわけではなくて、根っこ・芯にあるものが変わっていない”


だから、別に成長してないわけじゃないと。


そう思えたら、急に色々吹っ切れたというかなんというか、自分の芯を持って大事にしてることに誇りを持ってもいいじゃんという自信というか、充足感みたいなものが生まれました。





もちろん、もっと変えていきたいことはたくさんあります。

自分の環境だったり、物事への取り組み方だったり、あとちょこっと見た目だったり(笑)

でも、そういう中でも自分が大事にしてきたことは、ぶれずに大事にし続けて生きたいものです。



何を大事にしてきてるかは、きっとすごい単純なこと、だけど、奥が深いこと・・・かもしれないです。

まぁ気になる人は直接かなんかで聞いてください~。(笑)

2013-11-24

"普通"という言葉

どもども~
最近、朝夜は冷えて冬に近付いてきましたね!
冬生まれの私にとっては、嬉しい季節です(´ω`)


さてさて、ふと思い出した出来事があって、その出来事以来、使わないように意識し始めた言葉があるので、それについて書いていこうと思います~。


それは、“普通”という言葉です。


大学2年生のとき、カンボジアスタディツアーの報告のリハーサルをしていたときのことです。


私は、カンボジアの水上村についての発表担当だったのですが、そのとき説明をする中で、

「普通の家が水の上に浮いているような感じでした」(今思えば、かなりざっくりで幼稚な説明・・・苦笑)

という説明をしていました。そこで、とあるメンバーの1人から、

「“普通”ってどういうのか全然わかんない。普通って何?」と言われました。


それで、ハッと思ったんです。自分の中の普通=一般的な普通だと思い込んでいたことに。


それからは、“普通”という言葉を滅多に使わなくなりました。

なぜかと言えば、それを使うことは、私の概念・ものさしを相手にも理解してもらっていない限り、すぐには、伝わることはないと思ったからです。


人それぞれ物事の捉え方・考え方は違うわけで、それを擦り合わせるときには、より詳細な表現が必要だなーと。


日本人は特にそうかなーと思うのですが、「これは常識でしょ。」、「○○な場面で、○○しないのはおかしい」とかっていう、枠というか固定観念というか、そういうものがたくさんあるなーと日々様々な場面で感じます。

だからこそ、守られることや秩序も確かにあるけれど、あまりにもそれに縛られすぎるのも果たしてどうなのかなーとも思います。


相手と自分との異なる捉え方を理解していくためにも、さらっと言い流すだけではない伝え方をしていきたいなーと、その出来事を思い出して、再確認しました。


今年も残り1ヶ月弱、、、がんばってきましょ~(^^)

Collateral Beauty

映画レビューを細々と始めてみようかと思います。 今回は「Collateral Beauty」(邦題:「素晴らしきかな、人生」)。 広告代理店を経営する主人公ハワード(ウィル・スミス)、カリスマ性もあり事業も軌道に乗っていた矢先に、最愛の娘を亡くします。 食事や睡眠...