2019-10-06

Collateral Beauty


映画レビューを細々と始めてみようかと思います。
今回は「Collateral Beauty」(邦題:「素晴らしきかな、人生」)。

広告代理店を経営する主人公ハワード(ウィル・スミス)、カリスマ性もあり事業も軌道に乗っていた矢先に、最愛の娘を亡くします。

食事や睡眠をとることもままならず、日々「愛」、「時間」、「死」への手紙をポストに投函していました。

会社の倒産の危機に直面し、ハワードの共同経営陣兼友人の3人(ホイット、クレア、サイモン)が役員として不適格であるということを証明しハワード自身から退職をさせるために動き出します。

偶然出会った役者3人たちに「愛」、「時間」、「死」というハワードが書き続ける手紙の返答を演じさせ、ハワードとの対話を試みます。

ハワードだけではなくそれぞれ悩みを抱えるホイット、クレア、サイモン。
彼らの心がどのように変化していくのかを描いた作品です。


                                        

この作品の大テーマ。

人は「愛」を渇望し、「時間」を惜しみ、「死」を恐れる。

最初のシーンでこのことについてハワードがスピーチをするシーンがあります。
(娘が亡くなる以前の回想シーン)


この最初のシーンからドカンときました。

細分化したらキリはないけど、この3つが人生を占めているものだなと。

なんて簡潔明快な表現だろうと。


私がこの映画で好意を持てる点は、ハワードだけに焦点を敢えて当てていないところ。

ホイット、クレア、サイモンが、「おいおい、そこまでする?」というような行為も

回りまわって彼らの悩みに対してヒントを与えているから。

きっと、前に進むきっかけが欲しかったのはハワードだけではなく彼ら3人も。

ラストシーンも「え?そういうことなのか。なるほどね。」という感じで

受け入れやすいエンディングになっているかと思います。


邦題訳に関して色々な意見があるようですが、

確かに意訳に意訳を重ねた結果なのかなという印象です。

ただタイトルだけを邦題で見ると、明るい映画なのかなという印象を受けてしまうのも事実かもしれません。

言語はきっちり当てはめることが中々出来ないからこそ奥が深いとも思いますが。

                                        

個人的に腑に落ちた台詞が1つ。

子どもを授かりたいと悩むクレアに対して、「時間」を演じたラフィから一言。

「子どもは自分で産まなければいけないわけじゃない。彼らはあなたと歩んでいくものだ。(Your children don't have to come from you. They go through you.)」

ちょっと私の日本語訳がよろしくないと思うので原文も載せておきました。

これもなんだかドカンときました。

女性は子どもを授かるのに「時間」というリミットがある。

でも、必ずしも自分のお腹の中で育てた子どもだけが自分の子どもとも限らない。

要は、どうやって育てて共に歩んでいくかなのではないかなと。

そう考えると、結婚したりパートナーがいて子どもを授かるだけが全てじゃないのかもしれない。

それなら、一人でも子どもを育てるために経済力をつけたりスキルをあげることも今よりもっと大事なことになってくる。

そうやって自分の責任感を増やすことも素敵なことなんだろうなって思えます。
                                        

恐らく見る度に3つのうちの1つのテーマ「愛」、「時間」、「死」に対して、

気付きを与えてくれる映画なのではないかなと思います。

私の場合は、今回「時間」でしたが、次に観たときには「愛」かもしれないし、

「死」かもしれないし、はたまた「時間」についてまた発見があるかもしれません。


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2017-10-30

怒涛のTerm 1A

わーお。
出国してからかれこれ2ヶ月くらい経とうとしております。

こちらオランダ、ハーグ、今日からサマータイムが終了で
まさに冬にこれから向かっていこうとしております。

気温は14℃とかなのに風が冷たすぎて体感温度は一桁台。
今でこんなんだと12月とか1月とか乗り越えられるんだろうか。苦笑

なんでかって、よくよく思い返すとそこまで寒くて耐えられない場所に
住んだことないんですわな。
オーストラリアもマラウイも寒い時期はあったけど、全然耐えられたし、
着込めばどうにかなってたんだけども、さてはてどうなることやら。笑

学校の紹介は別記事でまたしようかと思います。

到着して2週間くらいオリエンテーションやら銀行口座開設やら市民登録やらを済ませ
授業スタート。

なんと、、、、、、週5、ほぼ9-18とかいうわけのわからない時間割でございました。

なぜかというと、聞くところに寄ると2年間分のカリキュラムを無理やり15ヶ月に組み込んでいるからだそう。








いや、2年にすればええがなーーーーーーーー!!!!!

ちなみにTerm(日本でいう学期)はTerm 1A,1B・2・3・4と分かれていて、
Term1を一括りにすれば、大体どのTermも3ヶ月ずつくらいになっております。

毎日毎週イレギュラーな時間割、同じ先生に週3とか4で会う感じでございました。



とある週の時間割

この1ヶ月ちょっとはFoundation courseということで、
要はdevelopment studiesの基礎の基礎を学んでちょうだいよ
という趣旨のもと、

・Economics
・Sociology
・Political Science

そして、
・Making of Development(MOD)
・Academic/ Advanced Writing
・Reserch pepar preparation, Academic skill

とかもうなんかてんこ盛りでしたorz
まっ、Writingのクラスは私が英語レベルが低いから、
取らなきゃいけなかっただけなんだけどさっ!泣

そしてついに先週Foundation course+MODの試験が終わりました!わーい

1週間毎日試験とか想像もしてなかったし、自分の勉強方法が鼻糞レベルで
10日間くらいほぼほぼ徹夜しておりました。(白目

いや、完全に自業自得であります。

でも今回を通して、勉強方法の改善点も見つけられたし、普段の勉強方法も
見えてきたような気がするので、引き続き頑張っていきます!

とりあえず、ほぼすべて紙媒体にしないと頭に入らない…
なぜかというとほとんどのReading materialはデータで提供されるので
印刷代もかかるしと思ってパソコンで読んでたけども、
たぶん全く頭に入ってなかったんですな。
そして、ワードとかに内容まとめてたりしてたけど、いまいち分かりにくい。

というわけでノートに図式化して整理するようにしました。
















アナログ方式じゃないと勉強できないのが、
なんともアナログ推しな私らしいというか非効率というか…(笑)

今週からTerm 1Bへ突入、ついに専門科目が始まります!
またこのタームも週5でございますが、もう今始まったことじゃないので、
乗り切ります!!(半分ヤケ)

正直ね、自分の英語レベルが低いことで結構落ち込んだりとか、
あれ、わざわざここに来て勉強しなくても良かったのか?とか、
そんな時もあるんですけどね、
同級生とか先輩とか優しい人がたくさんいて、
しかもみんなの頑張ってる姿が刺激になって、
どうにかこうにかまだ禿げずに済んでいます。笑

次、Term1Bの試験後の更新とかにならないようにしないと。笑
オランダ紹介もこれからちょこっとでもできるように更新しまーす!

2017-08-26

千差万別な道を歩くこと

協力隊から帰国して約一年。

受験準備にひーひーして、結果来なくて問い合わせたら出願システムのエラーって言われて、ようやく合格をいただき、年明けから某NGOで半年ほどお世話になり、その間に協力隊経験をお伝えするセミナーを何度かやらせてもらい、とかそんなことしてたら一年経とうとしてた。

たまにマラウィアンとも連絡取りながら、「あー、マラウイ行ってトゥンブカ語話したいなー」とか思いながら。


出国間際でも本当にこの選択が良いのか考えたりもしたけれど、ここまで来たら楽しみまくってやろうと思う。どんなに課題が多くても、色んな国の同級生のびっくり言動に出くわしたとしても、悩むことも落ち込むことも、全部ひっくるめて。


帰国して、いろーんな人の歩んでいる道を見聞きして、どんな人でもどんな状況でも私にはキラキラして見えた。誰一人として同じ道はないし、違うからこそ意味があり、尊い。軌道に乗っていたり、もがいたり色々な状況であっても、その人の道を歩いていることに胸を打たれ、感銘を受け、涙が出ることも。そんな人たちが周りにいること、話を打ち明けてくれることに幸せを感じるし、感謝してもしきれない。

人との距離感に多少難ありな私を受け入れてくれている方々、本当にありがとう。

また色んな人の新たなストーリーを聞けることを、私自身のストーリーを話すことも心から楽しみにして、数日後出国します。

2017-05-13

療養帰国から本帰国までの激動の日々

完璧に時間経ちすぎましたねー。でも更新します!

一時療養帰国から本帰国までの日々!

2ヶ月間(7月~9月)しかなかったけど、とてもとてもハードな2ヶ月間でした。

それと同時に本当にかけがえのない幸せと愛おしい時間を過ごすことが出来ました。

まず、衛生啓発のイベントがどうにかこうにか形になりました。

開催地でのキックオフミーティングから各種デモンストレーションの練習、会場設営等々で足繁く通い、ドラマの出演依頼を違う村にお願いしてそちらの練習も監督し、招待状をあちらこちらに配り、JICAへの業務費の申請(配属先の予算不足の場合、申請によっては業務費が支給される制度があります)を行ったりと、まぁ挙げればキリがなかったですね。

それと並行して、オフィスの3S(整理・整頓・清掃)を行い、後任要請を出さなかったので、少しでも5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾)を続けやすい環境を整えたかったという理由で、マニュアル作成。

そして栄養改善を目的とした地域での料理教室開催。

それプラス通常業務(乳幼児健診やら家族計画の定期受診)。

書いてるだけでもよく分からなくなってきますね。笑

いやー、この短期間でこれだけのことをやり切ってくれたとカウンターパート、同僚を褒め称えたい!!!

ひーひー状態な私を横目に、彼らは目に見える限りそこまでひーひーせずに物事をこなしていて、頭が上がりませんでした。本当にすごい、の一言です。

その衛生啓発イベントをかなり簡単にご紹介します。

蚊帳の貼り方を練習したり、ドラマの練習をしたり、ダンスの練習をしたり。
ちなみにドラマもダンスも衛生啓発について。(例えばトイレの後は手を洗おうとか栄養バランスを考えてご飯を食べようといった内容です)

当日。アフリカンタイムということで3時間遅れでスタート。笑
会場の一部。お偉いさんたちの席。
蚊帳の使い方デモンストレーション中


ドラマの一部
井戸の正しい使い方説明中



ですが、招待者や近隣、JICA関係等合計で100名以上が参加してくれました。
そして、招待者の方々からは運営、コミュニティ主体のやり方等を評価していただき、涙涙でした。
私がというよりもカウンターパート、同僚、開催地のコミュニティの頑張りや姿勢が評価されたと思うと嬉しくて嬉しくて。

というのも準備期間に私のカウンターパートが言ったんですよね。

「当日は僕らではなくコミュニティが主役なんだから、彼らが堂々と発表出来ることが大切なんだ。だから練習もきちんとしないとね。一種のエンパワーメントだよ。」

こんな言葉が出るなんて!!!!!
しかも、それがきちんと他の開催メンバーの同僚たちにも浸透している!!!

本当に本当に心から嬉しかったです。私の隊員スタンスとして一番大事にしたいと思っている所が伝わった(ということにして下さい。笑)し、それを行動に起こしている!

それこそ、イベント終了後の反省会というかお疲れ様の挨拶のときにはマラウィアンの前で初めて号泣しました。

悔しくても、腹が立ったときも、嬉しいときもマラウィアンの前で泣くということがなかったのですが、達成感と嬉しさが頂点を越えたようでボロボロと泣きました。(笑)

これがまず1つ目のマラウイに戻って本当によかったこと。

次に3S活動。

前からやりたいやりたいと言われていた活動に短い期間ながらも取り組みました。

正直、これは私が率先してやろうよとは言っていないものでした。なぜかというと、私が率先して整理整頓しても掃除要員として彼らが継続することが全くといっていいほど想像できなかったからです。現に前任先輩隊員たちが取り組んでいた形跡がかすかに感じられるくらいにしか残っていなかったですし。

しかし、カウンターパート+やる気がある同僚2人が取り組みたいということと、他の同僚たちも少なからず汚いオフィスにイライラしていたようなので、早速開始することに。

整理整頓もほとんど問いを投げかけるだけで自分たちで分類したり分けたりしてもらいました。棚のレイアウトも彼らにお任せ。実際の移り変わりはこのようになりました。



私はその手順をマニュアル化することとリクエストをもらったラベル作り専門みたいなポジションに徹しました。

配置もラベルも彼らが分かりやすいことが一番。
もちろんこんな風に書類を分類したらどう?ここにこれを置いたら?というような提案はしてましたが、それも彼らが嫌だと言えば折衷案やらボツにしたりしました。

と言ってもすぐ折れるというスタイルではなくて、なぜそれがいいと思ったのか、なぜ嫌だと思ったのかということもしつこいくらい聞きました。
だから、作業だけすれば短い時間で終わることも話をしながらやるので、すぐには終わりませんでした。これが効率が悪いと言われれば、その通りかもしれないですが、彼らの整理整頓や業務効率の考え方を知ることが継続性に期待が持てると思ったので、そこは時間を掛けました。

そのおかげか、「これは●●をするときにすぐ取れるようにここにまとめて置いておけば効率良いからさ。」というような会話が同僚間で生まれました。
なにせ狭いオフィスを10人くらいで使用するので、使ったら適当な場所にポイっとしたり、とりあえず押し込んでしまう、積み上げるという行動が染みついていたんですよね。それに掃除をすることをドヤ顔で5Sやってるよ!と言うような人たちばかりだったので、多少の変化が生まれたかなと思っています。

そしてそして嬉しいことに帰国後半年くらい経ったときに同僚が写真を送ってくれましたが、ほとんど変わらず使ってる!!!

そもそも写真を送るのもネット環境悪いのに送ってくれることだけでも感動でしたが、ちゃんと継続してるということが心から嬉しかった。


あとは栄養改善ということで地域での料理教室を同期隊員とコラボして開催。

そして「帰るよー」の挨拶回りをして(と言っても多分まわってた場所半分くらいしか行けてない苦笑)、配属先で日本食を大量に(徹夜で料理を作るという意味わからんことしました)振る舞うパーティーをして、ばたばたと荷造りをして、首都に引き上げ帰国という形で私の青年海外協力隊員としての2年間は幕を閉じました。




閉じたと書いてはみたもののここからがスタートなのかもしれないなと思っています。それはまた別記事で書こうかな。協力隊期間の総まとめみたいな感じで。

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2017-02-01

明るく飛躍せよ、2017年!

年が明けて1ヶ月過ぎてしまいましたが、本年もよろしくお願いします。

このブログもかなりゆるーく更新していますが、早4年ですか。
なんとも月日が経つのは早いような遅いような。
相変わらず時間の感覚が早くなることはなく遅いままな私です。(笑)



さてさて、協力隊生活も無事(?)満了しまして、次の道へ進もうと奮闘し早数か月。

療養帰国から復帰した最後の活動に関しては別記事にて触れます。


最近はというと一番最新の記事でも触れていたように、大学院への進学めざし中であります。

大学院という選択肢はぶれていませんが、数か月の中で行ったり来たりの迷いを乗り越え、ようやく第一志望の学校の出願を終えました。

第一志望を日本の学校から海外へ変えました。
それが行ったり来たりの迷いの結果となりました。

なので、今は結果待ち。どうなることやらですが。

そもそも帰国後からIELTS(海外大学・大学院出願時に求められる英語テスト)のスコアを取るところから始め、出願書類を揃えてなんてことを、準備時間平均の数分の一の時間でやるということ自体が大分無謀でありました。

いつものあれですね、どたばた劇。(苦笑)

第一志望の結果はどうであれ、英語力はまだまだ未熟、かつ第二志望の準備もあるので、まだまだ道のりは続くわけです。
そして合格がゴールでもないので、それこそまだまだ道のりは長いですが、やるっきゃないです。


自分のこのよくわからないやる気は一体どこから来るのか。
簡潔に言えば“悔しさ”と“希望”なのだと思っています。


協力隊で専門性のなさに落ち込み、さらに療養帰国で落ち込み、活動の成果と呼べるものも少なからず残せたもののやはり物足りず。

その一方で落ち込む中であっても、自分が専門として仕事をしていきたいと思える分野に出会えたこと。

そんな+と-の両方の感情がまぁまぁいいバランスでいてくれるようで、やる気を保てています。


先はまだどうなるか分かりませんが、未知の未来を楽しんで生きてやろうと思います。

自分自身で楽しくも不安にも出来てしまうのなら、楽しいと思える方が精神衛生上も良いじゃないですか。

だからこそ2017年はより一層のポジティブシンキングで色々なチャレンジ・試練に挑んでいきます。

そしてブログの更新もがんばります!笑

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2016-08-17

共に進むことを実感したこと

つい先日、本当は3月にやるはずだったイベントをやる村にもう一度来月やりましょうという話を同僚としにいった時のお話。

とりあえず最初に私は挨拶と謝罪から始めました。

そこで同僚が感動的な説明を私に代わってしてくれました。

そもそも彼女が帰ってきたのはマラウイが、ここ(任地)が大好きだからだ。彼女は9月で任期が終わってしまう。たった2カ月なのにそこまで出来ることに敬意を現すべきだ。

その話をされてる間、日本にいた時の時間を思い出して、今は普通に生活してるけど辛かったなとか、本当に戻って来れたんだなとか。色々思いを巡らせて泣きそうになってしまいました。
それに同僚がそういう風に思ってくれていることも嬉しかったんだと思います。

任地に戻るときに、短い期間で何が出来るだろうとか、独り善がりな活動になるんじゃないか等と考えていた自分がなんだかちっぽけにも思えました。
というのも、同僚や上司は私の予想以上に色々動いてくれているし、考えてくれている。そして、村の人たちも練習や準備を確実に進めている。ちゃんと同僚や上司や村の人たちと同じ方向で進んでいると実感出来ました。


このくらいで泣きそうになるとは、予想外すぎて自分自身驚きました。
引き上げるときとかのことを想像したら、大変なんじゃなかろうかと思ってしまいました。

という訳で、今はイベントに向けて足繁く村に通っています。
ちなみに衛生啓発に関するデモンストレーション、ドラマ、ダンス等を盛り込んだイベントになる予定です。
村のみんなも一生懸命がんばっているし、上手くいきますように。


同僚が村の人たちにイベントについて説明中
当日までのアクションプラン作成



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2016-07-31

再赴任の後の結論

さて、任期についてですが、延長せずに帰国することにしました。
理由は幾つかあるので、順に。

1.配属先の仕事がある程度は回っていた
以前は隊員がお尻を叩いていた頃もあったのですが、それはもはや過去の話。全員が真面目にとはいかないですが、困らない程度には仕事を回していました。
日本人がいるからいいやとサボり癖を再発させないためにも延長はやめようと思いました。

2.結局のところ自分はボランティア
上記と関係していることですが、結局自分はここに永遠にいるわけではないし、やはり彼らが積極的に物事や課題に取り組むべきだと感じたんです。冷たく聞こえるかもしれないですが、配属先は何人かの隊員が入っていて、良くも悪くも日本人の扱いに慣れていたし、特性も分かっている。もうそろそろ隊員がいない環境を作ることも必要だと思い、私自身も後任の申請をしていません。彼らはやれば出来る、けれど甘えられるなら甘えたい、そんな状況を卒業するのも彼らのためだと思いました。
それに延長した場合の考えていた活動内容は、少し独り善がりな部分もあったので、それも違う気がしました。”ボランティア”と言えど人それぞれ捉え方があって然るべきものだと思います。私が思うボランティアは、独り善がりなものではないと、療養中に初心に触れられたこともあって、ストンと心の整理が付きました。

3.活動の見通しが経った
再赴任した後、延長は出来ないこともないが難しいと思うという程でカウンターパートと話をしました。私が療養する前にやろうとしていたことをもう一回やる気になってやってみないか?と聞いたところ、やる気はあるし9月の引き上げ前までには出来るという意気込みを聞けたので、わざわざ先延ばしにする必要はないなと思いました。他の活動も私がやっていたことを引き継げるような形にするということで話がまとまりました。
その時には挙がっていなかった活動も現在始めたところです。これもカウンターパートからサポートしてほしいという提案からでした。
なので、今結構バタバタとしていますが、充実した毎日です。

4.次の進路の見通しを考えて
次の進路ですが、現在大学院進学を考えています。夏の入試の受験は難しいので、冬の入試を受験予定です。それが来年の1〜2月。延長してもしなくても受験は出来ます。(延長しても帰国は12月末の予定だったので)ですが、英語スコアと研究計画書のことを考えるとやはりマラウイでその準備をして、活動もするということはなかなか簡単ではないと思いました。(学部とは違う専攻に進もうと思っているため、特に研究計画書に時間を割かれるという予想で)なので、その準備期間を設けてもいいのではないかと思いました。

5.多少の不安
やはり、今回このように病気になり、療養した期間もあり同じようなことが起こらないと自分で100%自信を持ち切れませんでした。もちろん誰しも100%何もないとは言い切れませんが、人よりその可能性はあるということが自分の中で払拭しきれませんでした。任地の人とは良い思い出でお別れをしたいというのも強く思ったことです。

という諸々の理由から、結論に至りました。
任地での毎日を噛み締めて、大切にしながら、残りの任期を過ごしていこうと思います。



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2016-07-18

この半年のこと

更新が滞りまして。

1月末から低髄液圧症という病にかかり、2月中旬より日本にて一時療養帰国をしておりました。7月初旬、ようやく再びマラウイへと戻ってきて、現在に至っています。

何からどう説明すればいいのか、自分でもまとまっていないので、支離滅裂になるかもしれませんが、お付き合い下さい。

発症は運良く?首都で、立ち上がれない程の頭痛、それに伴う嘔吐があり、病院へ、そのまま入院。5日程で退院し、隊員ドミトリーにて、2週間程療養し、症状が多少落ち着いたため、日本へ検査のため帰国。
長距離移動だったため、症状が再発し、病院受診後そのまま入院。約3週間でした。その間もほとんど起き上がることは出来ず、安静第一でした。
というのも、低髄液圧症の治療はまだ確立されておらず、安静と水分補給が第一の治療とされています。手術もありますが、後遺症が残ることや成功率があまり高くないことから、主治医と相談をし、行わないことにしました。
退院後は、自宅療養ということで、安静にしつつも散歩に出たりしていました。
しかし、退院から約1カ月後突然の痙攣により再入院。寝たきりだったところから急な活動を行ったための筋膜炎と関節炎でした。1週間ほどで退院し、自宅にて自主リハビリ、体力回復に努めることになりました。

そして、ある程度の回復が見込めたので、今回再赴任ということになりました。

どちらの症状も主治医から言わせると、こんなことで発症しないはずと言われるようなことが原因でした。
まさに神様のイタズラといったところでしょうか。

1月は活動が絶頂期に入るような時期でした。自分でもかなり燃えていました。それに今まで大きな病気をしたこともなかった健康体神話説が崩れました。
そこでポキッと心が折られ、元の状態を取り戻すのも時間がかかりました。というより今でも取り戻している最中です。

病室や療養の中で様々な思いとぶつかりました。そしてそれを励ましてくれた人たちもたくさんいました。そんな暖かさに触れて、人との関わりの意味を再認識しました。
朝起きて夜眠るまで動けること、健康でいることの尊さに気付けました。生と死を以前よりもずっとずっと近くにあるものと気付け、もっともっと精一杯生きることに一生懸命になりたいと思えるようになりました。

マラウイに戻ることが怖くなかったわけではありません。でも、自分の中で戻らないという選択は納得が出来なかった。

残りの任期を延長するか否かは、近いうちに決まります。
納得する選択をしようと思います。


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2016-01-10

こんにちは2016年、さようなら2015年

あけましておめでとうございます。
久しぶりの更新です。最後が7月って、、、放置しすぎましたね。

今回は、2015年の振り返り、2016年について、つらつらと書いていこうと思います。


●2015年の振り返り
マラウイで迎えた2015年。任地をまだまだ好きにはなれず、自分が何をしたらいいのかも分からず、悶々としていた1月~3月頃。
4月頃からとりあえず、動くということで、至る場所の会議に出席し、乾期にもなったことでバイクでがしがし色々な場所を巡回。とにもかくにも顔見知り、人脈を作っていました。
6月はその反動で疲れ、足取りが重くなり、それじゃいかんと気を取り直そうとしたときに、配属先で針刺し事故を起こしてしまい、薬の副作用や検査通院で思うように活動できませんでした。
9月、マラウイ到着から1年を迎え、あと1年切ってしまったと焦り始め、10月の中間報告で同期の活動の素晴らしさと自分を比較し、どっぷり落ち込みました。しかし、落ち込むだけではいけないと、活動に誠意を持って取り組もうと動き始めたところ、、、
この時期から同僚たちに「50%くらいマラウィアンだな~」やら、「トゥンブカ語(現地語)の修了証書あげるよ」などと言われ始めました。今もたまに言われていますが、正直とても嬉しいことです。なぜかというと、協力隊は現地の人と同じ釜の飯を食べ、同じように生活すると言われている中で、現地の人にそのように認めてもらえたこと、「トゥンブカ語話せないの?苦笑」やら、絶対通じるトゥンブカ語で話しかけても無視されたこともあって、悔しくて悔しくて勉強して、それが結果になったということ、この2つ。
だからこそ、残りの任期を1年と少しかけて築いた色々なことを無駄にせずに悔いが残らないように、全うしていきたい。

マラウィアンに悩まされ、日本人にも悩まされ、堂々巡りなことを何度も考えたり、上手く感情として現せなかったけれど確実にあった悲しさや悔しさ、それを吹き飛ばしてくれる些細だけれど幸せな会話や出来事。

どれもきっと自分への試練で、それがあるからこそのオリジナルなマラウイでの時間なんだと強く思っています。

見えないけれど、多くの出来事がきっと自分の肥やしになった2015年。


●2016年を迎えて
2016年はマラウイから南アフリカへ飛んでケープタウンで年越しをしました。ケープタウンの観光情報等は別の機会に。
何回、「マラウイだったら○○なのに!驚」と口にしたことでしょう。それだけ、南アフリカとマラウイという国の差を嫌というほど見せつけられてきました。
2015年の中盤くらいにザンビア、ジンバブエに行き、そのときもマラウイとの違いに愕然としましたが、南アフリカはその何百倍も上をいっていました…。

      

ですが、あっさり、すんなり久しぶりの先進国の生活スタイル(食事や服装やお金の使い方etc)に戻り、「あ、こんな生活してたな。」と日本での自分を思い出したような気持ちになりました。
と言いながらもマラウイ、特に任地に戻るとあっさりマラウイスタイルにしっかり適応しました…。(笑)

2016年、協力隊としての任期が終わる年。2015年は長い長いと思っていたのに折り返しが過ぎ、帰国までの日数が刻々と近付いてくる年。普段から動く前に入念に考えることが私の行動特性でしたが、今年はそれを控え、考えすぎずにスタートを切る、という一年にしていこうと思います。

今年は去年より更新頻度をあげていけるようにしていきます。
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2015-07-13

“Poor”は誰が決めること?


マラウイに来て、「We are poor.」という言葉を何度聞いたか。その回数は数知れず。

「We can't ○○ because we are poor.」という言葉も。

耳にタコが出来るんじゃないかと思うくらい。そして大抵の場合、ドヤ顔で言うマラウィアン。

私はその度に思う。マラウィアンは金銭的にはpoorかもしれないけれど、精神的にはrichだと。

このpoorだとかrichだとかいう定義は、先進国が貨幣経済に基づいて決めたこと。
(povertyとpoorは定義が別だと思っています)

つまり、貨幣を使わずに生活出来る場合の状況をあまり考慮していない。

マラウィアンを見ていて思う。彼らは本当にお金を使わない生活をしている、というよりお金を使う必要が少ない。
(もちろん必要な物を購入するお金が足りず、その場しのぎになることもあります、特に仕事面では)

なぜなら、食べ物は自分たちで作っているから。壊れても直す、捨てるということをしない。



先日、同僚と村人と3人でこんな会話をしました。

村人    「You can't stay in Africa, because there are lots of problems caused by poor.」
私     「Why not? I can stay here.」
同僚    「You can't, because Japan is a rich country.」
私         「It's true but Japanese can't live without money. However, you can live without money isn't it?」
村人・同僚  「Exactly!」


というような感じ。



だからと言って、彼らがお金を使う生活を望んでいるのかは、まだまだわからない。
Poorならお金や物がもらえるから、そのままでいいと思っているかもしれない。
協力隊生活が終わっても、わからないかもしれない。




先進国が唱える“開発”の形が正しいのか、それすらも答えは見つけられないかもしれない。
先進国が唱える“Poor”が何を意味するのか、その定義に当てはまる国や人は本当に“Poor”なのか。




マラウイに来てから、国際協力や援助の考え方が、大きな渦になって脱出することが出来ない。
日に日にマラウィアンと仲が深まるたびに渦はどんどん大きくなる。



冒頭に書いた「We can't ○○ because we are poor.」が「We are poor but we are/can ○○」に1人でもなるといいな。



そのためにも自分の思いを少しずつでも日々伝えていこう。



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2015-06-14

ペイフォワードを観て思ったこと

先日、初めて『Pay it forward(次へ渡す)』を観ました。
そこで色々思うことがあったので、残しておきます。

この映画を知らない人のために簡単に話を説明すると、

ある少年が社会科の「世界を変えるためのアイデアを考え実践する」という課題に対し、
以下のようなアイデアを発表し、実践していくというお話です。




図のように1人が3人に対し、恩返し・見返りなしに善い行いをします。
その3人も同じように1人3人ずつに善い行いをしていく、その数はどんどん増えていくという考えです。
その少年がインタビューをされる場面での言葉がとても印象的だったのでご紹介。

▼英語
It's hard for some people who are used to things the way they are even if they're bad to change.
And they kind of give up.
When they do,they kind of lose.

▼日本語
日々の暮らしに慣れきった人たちは良くないこともなかなか変えられない。
だからあきらめる。
でもあきらめたら、負けなんだ。


ふむふむと納得しながら最初は聞きましたが、ふと思考モード。
色んな意味で自分と重なるなーと。

夜更かしがなかなか直らないとかお菓子をよく食べちゃうとか。
まぁこれは行動とか生活習慣の話。
極端な話、意識次第でどっちにも転がれる。


そして自分の悩み。
コンプレックス、変えたいと思う内面、細かいことまで挙げればキリがない。
意識だけでは変えられない。何年もそれと共に歩んできているから。
変えられない=あきらめる ということを言いたいのではなくて
変えたいともがくことは決してあきらめているわけではなくて、向き合おうと、どうにか変えようとしていること。
そう考えたら、落ち込むこともたくさんあるけれど、自分自身をあきらめたくないと思う自分がいるんだなって。

ちょっぴりだけど、すっきりしたな。


自分の周りの世界に、ペイフォワードを行える人間に近付けるといいな。
そうしたら、もっとその世界は広がっていくかもしれないと思える素敵な映画でした。



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2015-06-07

マラウイに来て感じた“距離感”と“尊さ”

マラウイに来る前までは、“アフリカ”って、とても遠い存在だと思っていた。

到着して2~3ヶ月経ったくらいから、遠いどころか近くにマラウイやアフリカを感じることが出来ている。



日本にいると“アフリカ”という文字には、貧困、紛争、感染症…等々マイナスに捉えられるキーワードが関連付けられ、語られることが多々ある。


けれど、マラウイに住み感じることは、“世界中どこでも【人】の生活が営まれている”ということ。

これが私にとってのアフリカに対する距離感を一気に縮めてくれた。

誰にでも生活があり、学び、笑い、恋愛をし、家庭を持っているということを分かっていたつもりだったんだろう。

頭ではなく肌で十二分に理解することが出来たのは、マラウイに来たおかげだと思っている。

多くのマラウイ人と接し、関わりを持つことでよりはっきりとそれらの場面を目にする。


だから、決して場所と場所の距離だけで、「遠い」と、距離感を自分の中で作り上げることはやめようと思うことが出来た。


そして、日々の数多くの尊さに気付ける、気付かされること。

日本での生活でこれほど尊さに敏感になれることはあるんだろうか、と考えることもあったり。

衣食住が満たされていること、近所の人との他愛ない会話の時間、1~2週間会わなかっただけでも寂しかったよーと言い合う人間関係…

きっとこの“距離感”と“尊さ”の2つが、マラウイから与えてもらえた2年間でのプレゼントなのかなと思う今日この頃。



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2015-04-23

マラウイでの約半年を振り返る

日常についてブログに書くのが得意ではない方なので、振り返りですが、この約半年について簡単にまとめてみます。

9月30日:マラウイ入国
 サハラ以南アフリカに初上陸。想定外に赤土だらけではないことに驚く。
 入国前に抱いていたアフリカ人(マラウイ人)に囲まれるドキドキ感は思っていたより少なかった、
 というより皆無に等しかった。

10月:オリエンテーション、任地視察、現地語研修
 多少の高地+首都のゴミゴミ感+大人数でのドミ生活+iPhoneなくしたことで少々メンタルをやら
 れ発熱。
 任地視察で地方のゆったり感に癒される。が、油っこい食べ物が多かったのか、体調崩す。
 滅多に体調を崩さなかったのに、ほぼ毎週の体調不良で、自分はアフリカが合ってないのかもと
 真剣に考え始める。

11月:任地赴任
 同期は続々と赴任していく中、ドミに取り残される。
 早く赴任したいようなドミ生活もいいなと若干ふてくされる。
 11月20日:ようやく赴任
 家具も何もかも1から揃える。水道がない、虫との戦い等々、生活面で必死な日々。

さすがに何もないとあれなので椅子を置いて撮影(笑)


12月:任地が好きになれない
 とにかく任地が好きになれず、もやもやたまにイライラな日々。
 上司からの一言が図星を付きすぎていて撃沈。
 他の任地と比べて自分の任地をダメ出しして、それを安心材料にしてた。
 とにかく出来ることを探そうと、バイクがない中歩いてニーズ調査。

1月:心機一転
 新年にもなったことだし、ニーズ調査をメインに活動の方向性を定めようと色々な場所へ。
 1月下旬にはバイクも到着。行動範囲が広がり、歩いていたよりも回れる場所が増える。
 配属先の業務(U-5 Clinic:5歳未満児の体重測定、予防接種)にも慣れてくる。
 教会でのコーラスに参加し、売名行為を図る(予想以上に効果抜群で逆に驚いた(笑))

カルテがないため1人1冊ヘルスパスポートを持つ
村でのU-5 Clinic



2月:赴任後3ヶ月オリエンテーション、現地語研修。前向きに!
 青年海外協力隊は、任期の2年間の間、計5回活動報告書というものを提出します。
 JICAマラウイ事務所では任地赴任後3ヶ月後にオリエンテーション(報告書に関すること、PCMワ
 ークショップ、現地業務費説明etc)が行われます。
 そして、赴任前にあった現地語研修のアドバンス研修(任意)に参加。
 言いたくても分からなくて言えなかったことや単語をたくさん習得し、早速任地で使ってみること
 に。
 マラウィアンにうけること、うけること。これで活動にも力が入る!

3月:悲しい現実、少しの光?
 自分で描いていた地図から村人、同僚etcと書き手を現地の人に移行し、完成したものを学校に
 貼ってもらい、そこから地位や年齢、そこに住む人、住まない人によって視点が違うこと、何がそ
 の村にあるかをワークショップ形式で話し合ってもらいたいと思い、模造紙に写した地図を
 学校に渡すことに。

 月初めに渡し、月末に見に行くと貼られることなくころがっていた。
 社会等の授業でも役立ててほしいと言って渡したけれど、貼る意味も伝えたけれど、伝わってい
 なかった。
 そろそろニーズ調査だけではないことにも取り組みたい。その気持ちが通じたのか、任地周辺で
 支援をしているNGOスタッフとたまたま仲良くなり、活動を見せてもらう機会を得た。



村の人が描いた地図

同僚が描いた地図















 けれど、任地周辺に支援をしているNGOは、活動内容は違えどざっと数えて二桁近く。
 自分にできることってあるんだろうか、自分に専門性があったらそれを武器に出来るのに。と悶々
 と悩む。
 そんな悩んでいた時、配属先は違えどたまに活動を一緒にしていたCDA 
 (CommunityDevelopment Assistant)から連絡が。
 その連絡がなかったら、多分ずっと悶々としてたと思う。
 4月初旬にCOMSIP(Community Saving and InvestmentPromotion)グループのミーティングに
 参加することに。     

 4月:ようやく見えてきた?活動
 そしてCOMSIPのミーティング。なんだか大分歓迎ムード。同僚のCDA、ムロンダに話を聞くと、

 ム)「今日は僕はポリッジ(お粥)のデモンストレーションやるけど、あおいは何するの?」
 あ)「・・・・・・え?何するのって?」
 ム)「あおいもグループの人にデモンストレーションするでしょ?このグループはスコーン(マラウイ
    人の“スコーン”は日本人からしたら“パン”)を作ってるよ。だから、それに合うものとか何か
    してよ!^^」
 あ)「・・・・・・。今日ミーティングに参加してグループを紹介するって言ってたけど、そうじゃない
    の?汗」
 ム)「あれ、言ってなかったっけ?じゃ、なんでもいいから、今後彼らの役に立ちそうなことやって
    よ」
 あ)(材料も道具も何あるか知らんわ。。。)「どういう材料があるの?」
 ム)「僕は豆のポリッジやるけど、何かあるんじゃないかな」
 あ)(豆しかないやん、それ。泣)「砂糖はある?豆の甘煮ならできるかも」
 ム)「あるよ!じゃ、よろしく!」

 マンダシ(揚げパンみたいなやつ)に入れたら、おいしい+付加価値をつけて売れるよという感じ
 でデモンストレーションしました。
 量もその場で決めたのであまり良い説明ではなかったけれど、このグループと近所のもう一つの
 グループの人に「教えて!」と言ってもらえたので、即興の割にはまずまずだったかと。
 こういうとき準備してないとあたふたする性格だから本当困った(笑)

 そして、次は、同期の力も借り、両グループに改良かまどを試作。(販売量増加、煙・火傷防止、 
 薪、時間節約etc)
 

  

 
        

   


 これからモニタリング、フォローアップ、新規作成の声があれば、対応して、スコーンについてもマ
 ーケティングや販路開拓等のフォローをしていく方向になりました。
 かまどは問題点もあるため、改良をさらに図っていこうと思ってます
 あとは、U-5 Clinic時の栄養失調児の洗い出しのための記録指導、改善。
 目先はこんな感じですが、まだ温めていることも時期を見て出来そうならやってみたいと思ってま
 す。
 

とまぁざっくりながら約半年の振り返りでした。

落ち込んだり悩んだりもしながら、楽しいときも癒されるときも、全てはマラウイが与えてくれているとしみじみ思います。

意外に活動記も書いてて楽しかったから、少しずつ更新していこうかな!


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2015-02-06

海外で生活すること

オーストラリア1年、マラウイで今3ヶ月経とうとしている海外生活を経て私が思うことを今回は綴ってみたいと思います。

多分マラウイでの生活を通してまた考えに変化があるかもしれませんが。




留学をすると周囲に伝えたとき、うらやましがられることもまぁまぁあった。

正直、留学するという気持ちを前から持っていなかった自分には、その言葉が響かなかった。

今ならその言葉を多少なり言われることも理解することは出来るようになった。

海外で生活すること、それは別世界である、と考えている人がたくさんいる。

否定したいわけではないけれど、思い違わないでほしいというのが私の意見。

決して海外で生活することは、別世界でも何でもない。

想像しているよりも、ずっと地味で平坦。

写真やメディアはいいところしか語らない、映(写)さない。

Facebookだって、悪いことや写真ばかりを挙げる人なんてそんなにいない。

どこにいても、生活に華やかさも何も潜んではいない。



もちろん海外で生活することで得られるメリットはある。

異文化適応能力、言語能力、ストレスマネジメント、日本人としてのアイデンティティetc

でも、わざわざ海外に出て行かなくてもこれらはある程度身に付けることは出来る。

(ストレスマネジメントに関しては、日本と海外で多少異なる気がしている今日この頃)

じゃあ、なぜわざわざ海外で生活をするのか。


*そこで生活を営む人たちと何か(協働)をすることは、自分もそこで生活をしなければ簡単に出来ることではない(と私は思っている)から。

*旅行では培えない人間関係を、日頃から構築することが出来るから。
(旅行先の出会いももちろん好きです)


というのが現時点での私が海外で生活することの最大限のメリットだと思っている。



じゃあ、自国と海外の間の仕事はどうなるんだよってっていう話にもなってくるような気もしますが…。

そこは、通信手段を通じてのコミュニケーション然り。そこから日々の信頼構築を行う必要がある。

通信手段は絶対ではないと思っています。だからこそ直接face to faceで生活も仕事もすることに意味が出てくる。



なんだか話がまとまらなくなってきましたが、つまりは、

どこにいても別世界はなく、全てが現実だということ。


現実は、地味で平坦、だからこそ、そこに尊さも同時にあると思う。


それが海外生活を通して分かったこと。
あと1年半ちょっとの海外生活でさらに考えを深めていきたい。


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2015-01-17

マラウイの歩き方 パート1

ガイドブックや情報が少ないマラウイ。

というわけで、“マラウイの歩き方”と題して、

旅行した先々を不定期ですが紹介していこうと思います!



今回は、北部編



★カロンガ(Karonga)

カロンガは首都リロングウェから大型バスで約10時間。
(と言ってもバスの接続上、ムズズで一泊は必要)

マラウイ湖沿いの中都市。
タンザニア国境が近いため、モノ・ヒトの往来が多く宿泊先も比較的多い街。


カロンガの街や人の印象は明るく、道々によって雰囲気が変わるところが個人的にはとても気に入りました。



そして、カロンガに赴任している隊員によるタンザニア料理巡りは最高でした。

ということで、料理紹介!

*コンドーレ
マラウイの主食はメイズから作るシマ。
コンドーレはキャッサバ粉からできたもの。食感、味共に異なります。
シマは比較的やわらかいですが、コンドーレは餅のように弾力があり、歯ごたえがあります。









*タンザニアスープ
プランテイン(甘くないバナナ)と牛肉の塩味のスープ。
牛肉は固めが基本なマラウイで、このスープに入ってる牛肉は柔らかく、
スープもラーメンの塩味みたいな感じで、お酒の後に最適!な感じのお味でした。


*タンザニアビール
マラウイはCarlberg、Chili等のビールがあるのですが、
今回は、Kilimanjaro、Safari、Castleの3種類を飲みました。
そこまで苦みもなく、飲みやすかったです。

*バラ
トマトと肉を煮込んだ料理(?)。
今回は惜しくも食すことが出来なかったので、次回リベンジ!笑

*チャンボ
マラウイ湖沿いにある、カロンガは魚もたくさんとれます。
チャンボはマラウイでよく食べられる白身魚の一種。
首都や任地でも食べたことはあったのですが、カロンガのチャンボは
身が詰まっていて、おいしさもピカイチでした(^o^)



近々中華料理屋もオープンするらしく、ますますカロンガの魅力が増えていきそうです!



★リヴィングストニア(Livingstonia)

カロンガからミニバスor長距離バスで1時間半くらいの場所(ムズズから約3時間~4時間)に
Chitimbaという小さい町があります。

そこから、マトーラ(車の荷台)もしくは車をチャーターし、険しい山道を登ること約40~50分。

Mushroom farmというロッジ、そしてその先にLukweというロッジがあります。

両箇所ともエコロッジでゴミはコンポストに、トイレもエコサントイレに、敷地内には菜園有りと
なんともマラウイとは思えぬほどの宿泊先でした。

どちらのロッジもオーナーが欧米の方ということもあり、センスが抜群!
(写真はすべてMushroom farm)






そしてそのロッジからマトーラ・車でさらに登ること30分強。
そこにリヴィングストニアという小さな町があります。


なんでも、1894年スコットランド人の宣教師リヴィングストンさんという方がミッション系の病院や教会、大学を作り、町を発展させていったようです。

なので、町並みがマラウイ、アフリカとは思えない雰囲気でした。

そして、欧米からの観光客の方々も多々。

リヴィングストニア大学


教会





私の任地が平坦かつ山が遠いということもあって、並木道があるリヴィングストニアで森林浴気分を味わえました。笑







さて、パート2はどこになるやら(..)

お楽しみにー!

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Collateral Beauty

映画レビューを細々と始めてみようかと思います。 今回は「Collateral Beauty」(邦題:「素晴らしきかな、人生」)。 広告代理店を経営する主人公ハワード(ウィル・スミス)、カリスマ性もあり事業も軌道に乗っていた矢先に、最愛の娘を亡くします。 食事や睡眠...